Google『Willow』が切り開く量子コンピュータの新時代

 

2024年12月9日、Googleは量子コンピュータの未来を切り開く新たなチップ「Willow」を発表しました。このチップは、105個の物理量子ビットを搭載し、従来のスーパーコンピュータ「Frontier」が10の25乗年を要する計算をわずか5分未満で実行できる能力を持つ、画期的な性能を誇ります。GoogleのCEOサンダー・ピチャイは、「Willowは商業化に向けた重要なマイルストーンであり、量子コンピュータ開発競争で他社に対する優位性を確立する可能性を秘めている」と述べました。

「Willow」は、計算性能だけでなく、量子エラー訂正技術においても大きな進歩を示しており、これにより量子コンピュータは科学、医療、産業をはじめとする幅広い分野で革命的な変化をもたらすことが期待されています。

 

目次
  1. 量子コンピュータとは?
  2. スーパーコンピュータとの違い
  3. 量子コンピュータにより実現可能な未来
  4. 量子コンピュータが直面する課題
  5. 『willow』の技術的特徴
  6. 量子コンピュータの現状と未来

 

量子コンピュータとは?

量子コンピュータは、量子力学の原理を利用し、従来のコンピュータを超える高速・大規模な情報処理を可能にする次世代型のコンピュータです。その基盤となるのは、量子ビット(qubit)と呼ばれる情報の最小単位です。量子ビットは、0と1の状態を同時に保持できる重ね合わせ(superposition)という特性を持ち、これによって並列計算が実現します。

これらの特性を活用することで、量子コンピュータは従来のコンピュータでは解くのが難しい特定の問題を高速に解決します。たとえば、化学分子のシミュレーション、最適化問題、そして素因数分解などでの応用が期待されています。

 

量子コンピュータの主な特徴
  • 複雑な問題の高速解決
    量子コンピュータは、従来のコンピュータでは解くのが難しい複雑な問題(例:化学分子や材料のシミュレーション、素因数分解)を高速に解くことが可能です。ただし、四則演算のようなシンプルな計算では、従来のスーパーコンピュータのほうが高速で効率的です。
  • 並列計算の実現
    量子ビットの重ね合わせの性質を活用し、複数の状態を同時に計算できます。これにより、従来のコンピュータでは直列的に行う計算を、並列的に処理できるため、特定の問題で効率が飛躍的に向上します。例えば、スーパーコンピュータは図書館で1冊ずつ本を探しますが、量子コンピュータはすべての本を同時に開くような計算能力を持っています。
  • エネルギー効率の可能性
    計算そのものは理論的に古典コンピュータよりも少ないエネルギーで実行可能です。しかし、量子コンピュータを動作させるためには、極低温を維持する希釈冷凍機や制御装置が必要で、システム全体としてのエネルギー消費は依然として高い状態です。

 

従来のスーパーコンピュータと量子コンピュータの違い

従来のスーパーコンピュータは、ビットという情報の単位を使用します。ビットは0または1の値を取り、この2つの数値を組み合わせて情報を符号化します。そのため、古典コンピュータでは、一度に1つの情報のみを処理します。

これに対して、量子コンピュータは、量子ビットという情報単位を使用します。量子ビットは、0または1のいずれかの状態だけでなく、重ね合わせの特性を持ち、0と1の両方の状態を同時に取ることができます。この特性により、量子コンピュータは従来のコンピュータよりも並列計算が可能となり、複雑な問題を高速に解決します。

量子コンピュータは、「量子重ね合わせ」「量子もつれ」「量子の干渉」といった量子力学の現象を活用して情報を処理します。これにより、0と1だけではなく、重ね合わせ状態を利用した計算が可能となり、一度に膨大なデータを処理できるため、特定の問題においては、従来のコンピュータを上回る性能を発揮することが期待されています。

 

量子コンピュータのリスクとその対策

一方で、量子コンピュータの悪用も懸念されています。たとえば、機密データ保護に使用されるRSA暗号やECC暗号などの一部の公開鍵暗号を効率的に解読する能力を持ちます。そのため、量子耐性暗号(Post-Quantum Cryptography)の開発が急務とされています。

そこで、米アップルは2024年2月、メッセージ機能「iMessage」を保護する暗号技術に量子耐性を導入すると発表しました。これにより、将来の強力な量子コンピュータによる暗号解読リスクを軽減することを目指しています。

 

量子コンピュータが拓く新たな可能性
  1. 複雑な問題の解決
    新薬や材料開発の分野で、分子間の相互作用を詳細にシミュレーションすることで、従来数年かかっていた薬剤設計が数時間で可能になります。また、物流や輸送ネットワークの最適化問題において、無数の組み合わせから最適解を瞬時に導き出すことで、効率化とコスト削減を実現します。
  2. 暗号技術への影響
    現在の暗号技術(RSAや楕円曲線暗号)は、量子コンピュータによる高速な素因数分解や離散対数計算によって解読可能になると予測されています。一方で、量子力学を応用した量子鍵配送(QKD)は盗聴を完全に防止する特性を持ち、究極のセキュリティを提供します。
  3. AIの進化
    機械学習における膨大なデータ処理やモデルの最適化が飛躍的に高速化します。たとえば、医療画像解析では、量子コンピュータによって病変検出の精度が向上し、診断がより迅速に行えるようになります。また、自然言語処理やロボット制御などの分野でも、より高精度かつ効率的なAIシステムが実現します。
  4. 科学研究の進展
    量子コンピュータを利用することで、素粒子物理学や宇宙論における膨大なデータの解析が可能になり、宇宙の起源や未知の物質の特性解明に貢献します。また、気象予測では、量子アルゴリズムを用いることで複雑な気象パターンを迅速かつ正確にモデル化し、災害予測や対策を強化できます。
  5. 医療分野での応用
    ゲノム解析の効率化により、個々人の遺伝情報に基づいたオーダーメイド医療(個別化医療)が現実のものとなります。さらに、病気のメカニズムを分子レベルで解析することで、新しい治療法の開発が劇的に加速します。
  6. 経済・金融の革新
    金融市場のシミュレーションを大規模に行うことで、より精度の高い市場予測やリスク管理が可能になります。例えば、ポートフォリオ最適化では、複雑な変数を瞬時に計算し、投資効率を最大化する手法が実現します。

 

量子計算が直面する技術的課題

量子コンピュータには、次のような課題が存在します。

  1. 量子ビットの不安定性とエラー

量子計算の基本単位である量子ビットは非常に不安定で、外部環境の影響を受けやすいため、エラーが発生しやすいという問題があります。量子ビットは環境と情報を急速に交換する性質があるため、計算中に必要な情報を保持することが難しくなります。この問題を解決するために、量子エラー訂正技術の開発が進められています。
Googleは、105量子ビットを持つ「Willow」を開発し、量子ビットの数を増やすことでエラーを指数関数的に低減する技術に取り組んでおり、量子計算の信頼性向上が期待されています。

 

  1. 冷却技術の課題

量子コンピュータは、絶対零度(-273℃)近い極低温環境を維持する必要があります。このため、特殊な冷却装置である希釈冷凍機が必要不可欠です。しかし、量子ビット数の増加に伴い、冷却装置やチップのサイズが大きくなり、将来的には物理的な制約が懸念されています。
たとえば、1億量子ビットを搭載した量子コンピュータを冷却するには、体育館規模の装置が必要とされますが、現時点でそのような冷却技術は存在しておらず、さらなる進歩が求められています。

 

出典:Meet Willow, our state-of-the-art quantum chip

 

次世代チップ『Willow』の詳細

Willowの論文は以下をご覧ください:https://www.nature.com/articles/s41586-024-08449-y

Willowは、105個の量子ビット(キュービット)を搭載した超伝導方式の量子コンピュータ用チップであり、量子エラー訂正技術において画期的な成果を達成した革新的な設計を特徴としています。このチップは、量子コンピュータが直面する主要な課題、すなわち外部ノイズ(電波、電磁場、熱、宇宙線など)によるエラーの影響を軽減するための新しいアプローチを採用しています。

Willowの最大の特徴は、量子ビットの数を増加させながらエラー率を指数関数的に低減する技術の実証に成功した点です。物理量子ビットを格子状に配置し、3×3、5×5、7×7とスケールアップする実験では、格子サイズを拡大するたびにエラー率がほぼ半減することが確認されました。この成果は、量子エラー訂正技術が大規模な量子計算にも適用可能であることを示す重要なステップです。

さらに、Willowは量子ビットの数を増やすだけでなく、各量子ビットの性能向上にも注力しています。量子ビットが不安定である場合、全体の計算性能に悪影響を与えるため、安定性の指標であるT₁時間(量子ビットが励起状態を維持できる時間)を大幅に改善しました。WillowのT₁時間は約100マイクロ秒で、前世代のチップと比較して約5倍の向上を達成しており、これにより量子計算の信頼性が飛躍的に向上しています。

出典:Quantum error correction below the surface code threshold | Nature

現在の量子プロセッサの現状
現在の最先端量子プロセッサでは、1つの量子ゲート操作におけるエラー率は約10^-3(0.1%)とされています。このエラー率は、小規模な計算には許容範囲内ですが、大規模な量子計算では操作の繰り返しによりエラーが累積し、計算結果が破綻してしまうため、さらなる精度向上が求められています。

この課題を克服するため、量子エラー訂正技術が採用されています。具体的には、複数の物理量子ビットを1つの論理量子ビットとしてエンコードし、物理量子ビットで発生したエラーを検出・訂正することで論理量子ビットの状態を安定化させる仕組みです。この技術は、大規模な量子計算を正確に実行するための基盤として重要な役割を果たします。

量子エラー訂正における主な課題

  1. 物理量子ビットの品質
    量子エラー訂正を効果的に機能させるには、物理量子ビットのエラー率を極めて低く抑える必要があります。現在の量子プロセッサではエラー率が相対的に高く、このためエラー訂正そのものが失敗するリスクが伴います。特に、実用的な量子エラー訂正には、物理量子ビットのエラー率を10^-4以下に抑えることが求められています。
  2. スケーラビリティ
    実用的な量子計算には、数百万個の論理量子ビットが必要とされますが、これを実現するには膨大な数の物理量子ビットが必要です。そのため、大規模な量子ビットをサポートするためのハードウェア設計や制御技術の進展が急務です。
  3. エラー訂正のオーバーヘッド
    エラー訂正を実現するには多大な計算コストやエネルギー消費が伴います。このオーバーヘッドは、量子コンピュータのスケーラビリティや効率性に大きな影響を与え、実用化に向けた課題の一つとなっています。そのため、革新的なアルゴリズムが必要不可欠です。

 

量子コンピュータがもたらす日常の変革

出典:Roadmap  |  Google Quantum AI

Googleは、次世代量子コンピュータの最終目標として、10^6個の物理量子ビットを搭載したシステムの構築を掲げています。Willowでは、物理量子ビットの数を増加させることで物理エラーに対する耐性を強化する仕組みを採用していますが、現時点ではまだ実験段階にあり、商業用途への適用にはさらなる技術革新が求められています。

たとえば、暗号解読の分野では量子コンピュータの能力が注目されていますが、専門家によれば、ビットコインの暗号を1日で解読するには約1,300万個の量子ビットが必要と推定されています。一方、Willowに搭載されている量子ビットの数は105個にとどまっており、現時点での能力には限界があるのが実情です。

しかし、Willowは量子ビットのスケーリングとエラー耐性の向上に向けた重要なステップを示しています。この技術進歩は、今後の量子コンピュータ研究の基盤となり、量子計算の商業化に向けた鍵を握ると考えられています。

Googleは、量子コンピュータ開発における6つのマイルストーンを提示しており、現在は「古典的コンピュータを超える性能の達成」と「量子エラー訂正技術の確立」の段階を進めています。これまでに、54個の物理量子ビットを用いて古典コンピュータを上回る性能を実証しており、次のステップとして、量子ビットの増加とエラー率の低減を目指しています。

  1. 長時間安定して動作可能な論理量子ビットの構築
  2. 論理ゲートの実現
  3. 大規模スケーリング技術の開発
  4. 実用的なエラー訂正済み量子コンピュータの完成

最終的には、10^6個の物理量子ビットと10^-9のエラー率を持つ実用的な量子コンピュータの構築を目指しています。この目標の達成には、Willowチップのエラー訂正技術に加えて、大規模な冷却装置の革新など、新たな技術的挑戦が不可欠です。

量子コンピュータにより、これまで治療法が見つからなかった希少疾患についても、量子コンピュータが分子の構造をシミュレーションし、新しい薬が数日で設計される時代が到来します。

今後も、Googleをはじめとするテクノロジー企業による量子コンピュータやAI分野の進展が期待されます。最新の情報を引き続きお届けしてまいりますので、どうぞご注目ください。

 

参考文献