はじめに
量子コンピュータ技術は近年急速に発展し、その産業・社会へのインパクトの大きさから各国が競争的に研究開発を進めています。このような最先端分野では、研究開発そのものだけでなく、その成果を保護し活用する「特許」の存在が競争力確保の鍵となります。実際、量子分野では特許出願件数が世界的に増加しており、特許は企業の知的資本を保護するとともに投資呼び込みやライセンス収入創出に寄与する重要資源です。日本の企業や研究機関にとっても、優れた技術開発と同時に特許を適切に取得・運用する戦略が不可欠であり、量子コンピュータ競争で主導権を握るには効果的な知財戦略の構築が求められます。
目次
2.1 技術概要(NISQ/FTQC、ゲート方式/アニーリング方式等)
2.3 日本の現状と課題
5.まとめ
2.量子コンピュータ技術の現状と将来展望
2-1. 量子コンピュータの技術概要と国際競争状況
量子コンピュータとは
量子コンピュータは、量子力学の原理を利用して計算を行う新しいタイプのコンピュータです。従来の(古典的)コンピュータが 0/1 のビット (bit) を単位とするのに対し、量子コンピュータは量子ビット (qubit) を利用します。量子ビットは「0」と「1」を同時に重ね合わせた状態を持つことができるため、大規模な並列演算が可能となり、特定のアルゴリズムで従来のコンピュータを遥かに上回る性能を発揮する可能性があります。これにより、従来のコンピュータでは計算不可能だった素因数分解や複雑なシミュレーション、組み合わせ最適化などの複雑な問題を解明することができます。
一方で、量子ビットはノイズや外部環境による干渉に非常に弱く、熱や振動など微細な影響で状態が崩れやすい(デコヒーレンスが起こりやすい)という課題があります。その結果、量子ビットの数を増やしてもエラーが多発し、計算精度を十分に活かせないという問題が顕在化してきました。そこで現在は、エラー耐性を高めるためのハードウェア設計や誤り訂正技術の研究が世界各国で活発に進められています。
2-2. NISQ と FTQC
量子ビットには大きく分けて「物理量子ビット」と、誤り訂正機能を組み込んだ「論理量子ビット」があり、量子コンピュータの開発はおおむね以下の2つのフェーズに区分されます。
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NISQ(Noisy Intermediate-Scale Quantum)
誤り訂正を本格的には搭載していない物理量子ビットを用いた装置群を指します。量子コンピュータの並列計算能力を一部活かせる反面、エラー率が高く、大規模問題への適用や長時間動作には限界があります。
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FTQC(Fault-Tolerant Quantum Computing)
複数の物理量子ビットを組み合わせ、誤り訂正機能を実装して“論理量子ビット”として扱う手法です。エラーが発生しても自動的に訂正を行い、高い精度を維持できる点が特徴です。実際、Google が “Willow” と呼ばれる装置で論理量子ビットの実証に成功したと報告されるなど、ここ数年で先端的な成果が相次いでいます。ただし、現状では論理量子ビットを数個程度しか実装できず、真に大規模な量子計算を行うには、さらに多くの量子ビットを安定的に制御する技術(スケーラビリティ)が今後の大きな課題となっています。
2-3. 量子コンピュータ実現技術の多様化
量子コンピュータの実装方式は大きく「量子ゲート方式」と「量子アニーリング方式」の2つに分類されますが、どちらもまだ開発途上であり、最終的にどの方式が主流となるかは定まっていません。現在、研究者や企業各社がさまざまなアプローチで競争を繰り広げています。
2-3-1. 量子ゲート方式
量子ゲート方式は、古典コンピュータの論理ゲートを量子力学の概念に拡張し、量子ビットに一連の量子ゲート操作を行うことで演算を実現する手法です。以下は代表的なアプローチの例です。
- 超伝導方式極低温環境下で超伝導回路上に人工原子(量子ビット)を形成する手法です。高速動作が可能ですが、極低温の維持コストが非常に大きい点が課題とされています。IBM や Google などが研究を先導しており、Google の “Willow” プロセッサもこの超伝導方式をベースにしているとされます。
- 冷却原子方式アトム(中性原子)を光などで整列・制御し、量子ビットとして利用する手法です。QuEra Computing は 256 物理量子ビットを構成し、エラー検出に取り組んでいます。また Atom Computing は Microsoft と共同研究を行い、256 原子から論理量子ビットを構築する実験に取り組んでいます。
- 光量子方式フォトニクス(光子)を量子ビットとして利用し、室温動作を可能とする一方、大規模化や干渉制御が難しい方式です。カナダの Xanadu が発表した “Aurora” は 12 量子ビット規模のモジュール型光量子コンピュータで、PsiQuantum はシリコンフォトニクス技術を用い、数百万量子ビット規模の実装を目標としています。また Microsoft はトポロジカル量子ビット(マヨラナ粒子)を追求する独自路線を進んでおり、実現すれば既存の方式を大幅に上回るエラー耐性が期待されます。
課題
量子ゲート方式で特に重要なのは「コヒーレンス時間の延長」です。量子ビットの状態はマイクロ秒からミリ秒程度でデコヒーレンス(崩壊)するため、大規模なゲート操作が必要になるほどエラーが積み重なりやすくなります。また、超伝導方式では超低温を維持するため巨大なクライオシステムが必要となり、運用コストや設置の制約も課題に挙げられます。
2-3-2. 量子アニーリング方式
量子アニーリング方式は、主に組み合わせ最適化問題を高速に解くことを目的とし、量子トンネル効果(量子ゆらぎ)を利用してエネルギー地形の最小値(解)を探索する手法です。汎用的なゲート計算には不向きですが、最適化問題の領域では有望視されています。
- D-Wave
カナダの D-Wave Systems は商用アニーリングマシンのパイオニアで、最新の Advantage2 システムでは 5,000 を超える量子ビットを搭載。物流最適化や金融ポートフォリオ管理といった実用例を蓄積しています。 - 富士通のデジタルアニーラ
富士通は独自の FPGA アーキテクチャを用いた「デジタルアニーラ」を開発し、第 3 世代機では 1,024 ビットの完全接続を実現。実機の量子効果ではなく“疑似アニーリング”ながら、大規模組み合わせ問題に実用的なパフォーマンスを示しています。 - その他日本企業のアニーリング技術
日立製作所などもシミュレーションベースのアニーリング手法を研究しており、高度な制御技術を活かして高精度かつ汎用的なシステム構築を目指しています。日本企業は製造業で培った制御や最適化のノウハウを背景に、疑似アニーリングを含む専用ハードウェア・ソフトウェア開発で強みを発揮しています。
量子コンピュータ技術は現在では、未完成であり、エラー訂正や大規模化など乗り越えるべき技術的障壁が多く存在します。しかし近年、NISQ デバイスによる実証実験や、FTQC(誤り耐性量子計算)に向けた論理量子ビットの試作成功など、着実に進歩が見られる段階です。ゲート方式・アニーリング方式のいずれも、多様なアプローチがしのぎを削っており、どの方式が最終的に主流となるかは現時点では見通せません。各企業や研究機関は自らの強みを生かし、今後数年~数十年のロードマップを描きながら社会実装を目指しています。大規模化が実現すれば、創薬や新素材開発、金融工学など幅広い分野で、従来の計算機では扱えなかった問題を高速に解決できる未来が期待されます。
研究開発の主な課題
- ノイズ耐性:量子ビットは外部環境の影響を受けやすく、エラーを最小化する技術が不可欠。
- エラー訂正:誤り耐性量子計算を実現するには、大量の“物理量子ビット”を束ねた“論理量子ビット”実装の研究が必要。
- スケーラビリティ:実験室レベルでは数十~数百量子ビットの制御が可能になりつつあるが、実用的な規模(数千~数百万量子ビット)への拡張が大きな挑戦。
主要国・主要企業の出願件数や分野、近年のトレンド
量子コンピューティングは将来性の高さから、各国が巨額の投資を投じて研究開発競争を激化させています。米国と中国は量子技術を国家戦略の最優先事項と位置づけ、その様相は「冷戦期の核開発競争」にも例えられるほど熾烈です。米国では政府主導で「国家量子イニシアチブ法」が制定され、IBM や Google などの大手企業が大規模投資を行いながら量子技術を牽引しています。一方、中国も国家主導で莫大な資金を投入しており、第14次5カ年計画では量子分野への投資規模が数千億元に上ると報じられています。
こうした国際競争の中、主要テック企業や有力スタートアップは量子コンピュータ開発だけでなく、関連技術の特許取得にも力を入れています。世界をリードする IBM は、これまでに 1,300 件以上もの量子デバイス関連特許を出願しており、その数は中国全体の累計を上回る規模です。Google も約 762 件、カナダの D-Wave は 502 件を保有し、中国全体の出願件数(804 件)と肩を並べるほどの特許網を形成しています。特筆すべきは、米国企業が大学との共同研究を積極的に推進し、共同出願を通じて技術移転と特許化を同時に行っている点です。さらに、上記のグラフからわかるように特許出願国はアメリカと中国が突出して多く、主に、アメリカ、欧州の特許機構に新生されていることがわかります。日本でも、東芝や日立などの大企業はこれに先んじて、EPO出願を積極的に行っています。
Amazon はクラウド基盤を活用した量子コンピューティングサービスに注力し、関連特許の取得を加速させています。中国では Origin Quantum(本源量子)などのスタートアップが急速に台頭しており、設立から数年で 234 件もの特許を出願し、世界トップクラス(出願件数で世界 6 位)に食い込んでいます。このように大手から新興企業まで、多様なプレーヤーが独自技術を特許で押さえ、量子コンピュータの主導権を握ろうとする構図が明確になりつつあります。
米国の特許戦略
米国は量子コンピュータ関連の特許出願・取得において世界をリードしており、USPTO(米国特許商標庁)から発行される量子コンピュータ関連特許の件数は他国を大きく上回っています。また、産学連携が活発で、大学の研究成果を企業がライセンスや買収によって取り込み、共同出願に結びつけることで技術移転と特許化が同時に進行しています。Google が大学の研究者と共同で特許を取得するケースなどは、その典型例です。さらに米国では特許訴訟が盛んであるため、企業は自社技術を守り競合に対抗する“武器”として特許ポートフォリオを拡充する傾向があり、こうした法制度と市場環境が米国企業の積極的な特許戦略を後押ししています。さらに、上記のグラフからも発明件数の上位20企業のうち、11企業とアメリカの量子コンピュータ分野での知財活用の存在感は伺えるでしょう。
中国の特許戦略
中国は量子技術を国家プロジェクトとして推進しており、特許戦略にもその強い姿勢が反映されています。量子関連の特許出願件数は近年、爆発的に増加しており、2020 年 9 月時点で 137 件だったものが 2022 年 10 月には 804 件に達し、わずか 2 年で 6 倍近い伸びを示しました。研究者が特許出願を行うことで評価や奨励を受けられる仕組みが整備されていることもあって、特許申請へのモチベーションが高い文化が醸成されています。また、中国政府は量子技術を「国家の未来を左右する核心技術」と位置づけ、潤沢な資金援助と政策支援を実施しています。実際、中国の公的な量子研究開発投資は米国の約4倍とも言われ、世界全体の公的投資の半分以上を占めるとの報告もあります。こうした国家的支援のもと、中国企業や研究機関は量と質の両面で特許取得を強化し、国際特許の出願も増やすことで、自国発の技術をグローバル市場に押し広げようとしています。
日本の現状
日本における量子コンピュータ関連の特許出願件数は、米国や中国、欧州と比べると依然として少ないのが実情です。2000 年代から 2022 年までの累計を見ても、日本企業では東芝が 177 件の量子コンピュータ関連特許を公開しており国内最多となっていますが、IBM といったグローバルトップ企業に比べると桁違いの差があります。このように国際競争が激化する中、出願ペースの遅れや特許ポートフォリオの弱さを指摘する声も少なくありません。
もっとも、日本政府もまったく手を打っていないわけではなく、研究開発面では「Q-LEAP(量子跳躍フラッグシッププログラム)」などの国家プロジェクトを通じて量子技術の開発を支援しています。知財分野でも特許庁を中心に動向調査や企業支援策が進められているものの、出願から特許査定までに時間がかかる点や、そもそもの出願件数が伸び悩んでいる点が課題として残ります。こうした背景から、日本が量子技術分野で国際競争力を強化するには、研究開発だけでなく特許取得・活用についても戦略的に取り組む必要があると言えるでしょう。
日本がとるべき知財戦略と産学連携
世界的に量子コンピュータに対する投資と特許戦略の重要性が高まるなか、日本は優れた技術力を有している一方で、投資や知財戦略の集中度が十分とは言えない現状があります。海外勢が先行する技術に追いつき、さらには競争力を高めるためにも、大学・研究機関と企業が連携する産学連携がますます重要となっています。産学連携とは、ハードウェア開発にとどまらず、知財で権利化し、ソフトウェアに応用する一貫したものです。
量子コンピュータの知財構造
量子コンピュータ分野の知財は、大きく以下の3領域に分類されます。
1.ハードウェア系
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- プロセッサ、制御システム、冷却技術など
- 例:誤り訂正能力やノイズ耐性を向上する回路設計、極低温下での動作技術
2.ソフトウェア系
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- アルゴリズム、コンパイラ、最適化手法など
- 例:量子ゲートモデル専用のプログラミング言語、分野特化型アルゴリズム
3.周辺技術
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- 量子ネットワーク、ポスト量子暗号、測定・制御デバイスなど
- 例:安全通信を実現するQKD(量子鍵配送)、量子計測・センシング技術
現在、ハードウェア設計は依然として未完成な要素が多いものの、ソフトウェアへの投資も急速に拡大しています。特に、エラー訂正や耐性強化といったハードウェア面の課題を解消すると同時に、特化型量子コンピュータを活用して「どんなアプリケーションを実現するか」に焦点を当てるソフトウェア開発も盛んです。創薬・材料開発・金融最適化・暗号・セキュリティなど、応用分野は多岐にわたります。
こうした複数の領域を横断しながら知的財産を取得・活用していくためには、産学連携や大企業とスタートアップの協業が重要なカギとなります。大学等で培われた基礎研究を早期に特許化し、企業がスケールアップと事業化を進める流れを確立することで、量子コンピュータ分野での国際競争力を強化できるでしょう。
AI知財ソリューション提供
弊社では、日本の知的財産を守り、国際競争力を高めるために「AIを活用した知財ソリューション」を提供しています。従来の日本においては、特許戦略が知財部や弁理士などの専門家に大きく依存しており、特許そのものが複雑な構造を持つことから、研究者にとってはハードルの高い分野でした。本ソリューションは AI による特許調査・検索・出願支援を一体化したもので、誰でも効率的に特許戦略を遂行できるよう設計されています。
AIを活用した特許技術の最先端調査と分析
本ソリューションでは、たとえば「2015年以降の量子コンピュータに関する技術特許を探したい」といった要望を受けると、AIが関連度に応じて効率的に検索を行います。また「この特許の発明内容を詳しく知りたい」といった質問にも対応可能で、AIが該当特許の要点をわかりやすく要約・解説します。具体的には以下のような機能を備えています。
- 自然文での特許検索
- 特許要約・権利範囲の解説
- 変形例の提案、特許比較
- 競合技術の分析
これにより、研究者は既存特許を正確に把握した上で、自社の研究や開発計画を立てることができます。すでに発明済みの技術と重複しない新規分野に絞ってリソースを集中できるため、“真に最先端”の研究に注力できる点が大きなメリットです。
AIで特許出願をサポート
自社の新技術が発明された場合、AIを使って出願書類(発明の名称・請求項など)の初稿を作成することも可能です。従来は専門家に任せるしかなかった作業や、日本の研究機関が手を付けづらかった知財戦略についても、AIの支援によって大幅にハードルを下げられます。これにより、特許出願のプロセスが効率化し、研究成果を最適なタイミングで権利化できるようになります。
特許研究と応用可能性の検討
弊社ソリューションは、既存特許をもとに技術レベルを分析し、他分野への応用可能性についても AI が提案を行います。
たとえば「量子コンピュータを新薬開発に応用するソフトウェア領域を探りたい」という質問に対しては、タンパク質の柔軟性や結合エネルギーを精密にシミュレートし、有効な薬物候補を効率的にスクリーニングする可能性を示唆します。ハードウェアの枠を超え、産学連携で実際にソフトウェア化を推進する研究者にとって、こうしたインスピレーションと調査支援は大きな助けとなります。
機密性を重視したクローズド環境
AIを活用する際、多くのサービスでは入力した情報が学習データとして蓄積されるリスクがあります。弊社ソリューションでは、ユーザーごとの専用環境を用意し、機密情報が外部に漏れないよう「完全クローズドな特許ソリューション」を提供し、AIに学習させない設計を採用しました。研究者や企業が自社技術を安心して入力し、知財戦略を検討できる環境を整えています。
サービス概要
本ソリューションでは、AI を使った特許調査・検索・作成を一貫して実施でき、月額 2 万円でご利用いただけます。無料トライアルも用意しておりますので、知財戦略の強化をお考えの方はお気軽にお問い合わせください。
研究者や企業が持つ高度な専門知識を、AI の解析力と融合することで、日本の量子コンピュータ分野における知財戦略を総合的に支援したいと考えています。今後も業務効率化と国際競争力の向上に貢献し、皆様の力になれるよう取り組んでまいります。
まとめ
量子コンピュータは、今後の技術競争を大きく左右する極めて重要な領域です。だからこそ、研究開発だけにとどまらず、知財戦略をどのように組み込むかが勝敗を分けると言っても過言ではありません。実際、米国や中国では国家主導の大規模プロジェクトが進行中で、大企業・スタートアップ・大学が緊密に連携し、オープンイノベーションを活用することで基礎研究の成果を早期に特許化しつつ、それぞれの強みを生かして実用化・事業化へとつなげています。一方、コア技術を秘匿し、クローズドな領域を適切に保護するバランス感覚も欠かせません。IBM や Google といった海外企業は、特許取得とライセンスビジネスを組み合わせることでイノベーションを加速しており、日本勢も早期の段階から「特許取得・活用・ライセンスビジネス」という視点を意識し、国内外での知財ポートフォリオを強化することが急務となっています。
本記事が、量子コンピュータの研究・開発に携わる皆様にとって、具体的なアクションを検討・実行する一助となれば幸いです。
参考文献
https://www.jpo.go.jp/resources/report/gidou-houkoku/tokkyo/document/index/2023_05slide.pdf