中国発のAI革命:「考えるAI」の未来―Deepseek R1が切り開く強化学習による自己改善能力と低コスト化

2025年1月20日、中国のAIスタートアップによって「考えるAIモデル」であるDeepseek R1が発表されました。Deepseek R1は、OpenAIの「o1」に匹敵する性能を持ち、オープンソースとしてコードやデータセットを含め無料で公開され、商用利用も可能である点が特徴です。さらに、APIの価格を見ると、OpenAIの「o1」が100万トークンあたり入力トークン15ドル、出力トークン60ドルであるのに対し、Deepseek R1は入力トークンが0.14ドル、出力トークンが2.19ドルと、約3.1%という破格の価格設定となっています。本記事では、Deepseek R1がどのようにして価格を抑えつつ性能を向上させることに成功したのか、OpenAIの「o1」との比較を交えながら詳しく解説します。

 

目次

第1章:Deepseek R1の技術革新:強化学習とルールベース報酬の融合

第2章:Deepseek R1の性能と多様な活用法

第3章:Deepseek R1利用時の注意点と将来展望

 

技術基盤:LLMの共通性とモデル構築の差異

近年注目を集めるLLM(大規模言語モデル)は、AIの基盤技術として広く認知されています。LLMは、Transformerアーキテクチャを基盤とし、入力されたテキストデータを数値化し、ベクトル演算によって応答を生成します。OpenAI「o1」とDeepseek R1も、この点においては共通の技術基盤を有しており、推論プロセス (Chain-of-Thought, CoT) を活用することで、高度な推論能力を実現しています。

しかし、同じLLMアーキテクチャを基盤としながらも、モデルの性能や特性には差異が生じます。その要因は、モデル構築のアプローチの違い にあります。具体的には、LLMのトレーニング手法、最適化戦略、使用するデータセットなどが異なることで、最終的な価格や性能に大きな差が生じます。OpenAI「o1」とDeepseek R1も、LLMという共通基盤を持ちながらも、それぞれ異なるアプローチを採用することで、独自の特徴を備えたモデルとして開発されています。本稿では、このアプローチの違い が、いかに性能とコストに影響を与えるかについて詳しく解説していきます。

 

CoTモデルの構築:SFTによる学習と課題

OpenAI「o1」に代表される、高度な推論能力を持つモデル(CoTモデル)は、主にSFT(教師付きファインチューニング)と呼ばれる手法を用いて構築されます。SFTでは、厳選されたデータセットを使い、質問と正解となる応答をペアでLLMに学習させます。これにより、LLMは与えられた質問に対して、正解を導き出す能力を獲得します。しかし、SFTには膨大なデータセット大規模な計算資源が必要です。LLMの性能は、使用するデータセットの質と量、そして学習にかける計算量に大きく左右されるため、高性能なモデルを構築するには、大量のGPU資源が必要となり、それがコスト増に繋がっていました。

このような課題を解決するため、近年では、LLMに質問と正解だけでなく、推論過程(CoT) を学習させる手法が登場しました。CoT学習では、質問に対して回答を導くための思考ステップをデータセットに含め、LLMに推論の過程を明示的に学習させます。これにより、LLMはより高度な推論能力を獲得し、複雑な問題にも対応できるようになります。しかし、CoT学習においても、SFTと同様に膨大なデータと計算量が必要となり、依然としてコストが高いという課題は残されていました。そのため、「o1」のような高性能なCoTモデルは、従来のLLMモデルと比較して高価になる傾向がありました。

 

Deepseek R1の革新:制約下での強化学習とGRPO

Deepseek R1の開発背景には、中国におけるGPU輸出規制という厳しい現実がありました。NVIDIAやAMDなどの高性能GPUの輸出制限により、中国国内では限られた計算資源で高度なAIモデルを開発する必要に迫られました。そこでDeepseek AIは、従来の「o1」とは異なる強化学習を中心としたアプローチを採用し、高い性能を維持しつつ、計算コストを大幅に削減することに成功しました。

強化学習の導入:データ主導から自律学習へ

従来のLLMトレーニングでは、SFTが中心でしたが、Deepseek R1では、強化学習をメインの学習手法として採用しています。強化学習は、教師データに依存せず、AI自身が試行錯誤を繰り返しながら学習を進める手法です。具体的には、まず報酬モデル を定義し、AIが出力する応答の品質を評価します。AIは、この報酬を最大化するように行動を学習していきます。このプロセスの中で、AIは自動的に合成データを作成し、より質の高い出力を生成する方法を自律的に学習します。このため、強化学習は、SFTと比較して膨大な教師データを必要とせず計算量も削減することが可能になります。

出典:DeepSeekMath Paper

 

GPPO:学習安定化のための独自アルゴリズム

Deepseek AIは、強化学習の過程で、勾配が不安定になるという課題に直面しました。従来の強化学習では、報酬を最大化しようとするあまり、低品質な出力と高品質な出力の間で勾配が急激に変動し、学習が不安定化する現象が発生していました。そこでDeepseek AIは、GRPO (Group Relative Policy Optimization) という独自の強化学習アルゴリズムを開発しました。GRPOでは、全体の報酬を最大化するのではなく、グループ内の平均報酬を算出し、その値がある一定以下になるように学習を調整します。これにより、勾配変動が抑制され、学習プロセス全体が安定化しました。

このように、Deepseek R1は、強化学習と独自アルゴリズムであるGRPOを組み合わせることで、SFTに依存せず限られた計算資源でも高性能なモデルを効率的に開発することに成功しました。これは、今後のAI開発において、新たな可能性 を示す重要な成果と言えるでしょう。

 

ルールベース報酬モデル:計算コストと学習効率の両立

強化学習において、報酬モデルは、LLMがどのように学習を進めるかを決定する、非常に重要な要素です。LLMは、報酬を最大化するように行動を最適化するため、高品質な報酬モデル が不可欠となります。OpenAI「o1」などの既存モデルでは、ニューラルネットワークベースの報酬モデル が採用されています。これは、大規模なデータセットを基に学習された複雑なモデルで、高い表現力を持つ反面、計算コストも大きいという課題がありました。

Deepseek R1では、この課題を解決するため、ルールベースのシンプルな報酬モデル を採用しました。Deepseek AIは、主に以下の二種類の報酬モデルを活用しています。

  • 精度報酬: LLMが出力した応答が、与えられた質問に対して正確かどうかを評価します。数学の問題であれば、答えが正しいかどうか、コードの問題であれば、コンパイルエラーがなく、正しい出力が得られるかどうかを評価します。
  • 推論報酬: LLMが応答を生成する際に、思考プロセス(CoT) を強制します。具体的には、推論過程を明示的に示すように促し、その思考プロセスが論理的かつ正当であるかを評価します。

Deepseek AIは、ニューラルネットワークベースの報酬モデルではなく、ルールベースの報酬モデルを採用することで、複雑な計算を削減し、学習コストを大幅に抑える ことに成功しました。ルールベース報酬モデルは、複雑な報酬計算はできないものの、計算コストと学習効率の両立を可能にします。このルールベースの報酬モデルによる強化学習こそが、Deepseek R1が低コストで高性能なモデルを実現できた重要な要因の一つと言えるでしょう。強化学習は、従来の学習手法とは異なり、AIが自律的に試行錯誤を繰り返すことで、予想外の洗練された結果を生み出し、AIの新たな可能性を切り開く技術であると言えるでしょう。

また、Deepseek AIは、言語一貫性報酬 という報酬モデルも導入しました。これは、LLMの応答において、前後の文脈との一貫性を評価するもので、より自然で読みやすい文章を生成することを目的としています。

 

Deepseek R1の多段階学習プロセス:強化学習とSFTの融合

Deepseek R1は、その高度な性能を達成するために、二段階の強化学習と二段階のSFT(教師ありファインチューニング)を組み合わせた、多段階の学習プロセスを採用しています。

第一段階:CoTプロセスの学習

最初に、LLMに思考プロセス(CoT) を学習させるための強化学習を行います。ここでは、ルールベースの報酬モデルを活用し、LLMが与えられた質問に対して、論理的かつ詳細な推論ステップ を出力することを促します。これにより、LLMは推論能力の基盤を構築します。

第二段階:推論能力の強化

次に、第一段階で学習したCoTプロセスを基盤に、推論能力を極限化させるための強化学習を行います。この段階では、より高度な推論を促すような報酬モデルを設計し、LLMの推論能力を徹底的に鍛え上げます。

第三段階:汎用的な言語能力の向上

強化学習による推論能力の強化に加え、汎用的な言語能力を向上させるために、SFTによる微調整を行います。ここでは、幅広いジャンルの文章データを使用し、LLMが推論だけでなく、文章生成対話などのタスクにも対応できるように訓練します。

第四段階:倫理的バイアスの調整

最後に、倫理的な観点から不適切な出力を抑制するための強化学習を行います。この段階では、有害な情報倫理的に問題のある表現を検出し、LLMが適切な応答を生成できるように調整します。

このように、Deepseek R1は、わずかな補助的なSFT大規模な強化学習を組み合わせることで、高性能かつ倫理的なモデルを実現しています。

 

強化学習が生み出す自己改善能力:アハ体験と自律的な問題解決

Deepseek R1の強化学習プロセスにおいて、注目すべき現象が確認されました。それは、モデルが自らの推論方法を自己評価し、新たなアプローチを発見するという、「アハ体験」です。例えば、ある数学の問題を解く際、初期段階では平方根を展開する手法を選択したものの、それが適切ではないと判断し、自ら別の解法を模索する というプロセスが見られました。この事例は、Deepseek R1が単に与えられたデータから学習するだけでなく、推論過程で生じた誤りを認識し、方向修正を行いながら、より正確な解を導き出す能力 を獲得したことを示しています。

この自己改善能力は、従来のモデルとは異なり、Deepseek R1が自律的な問題解決能力 を備えていることを示唆しています。強化学習における適切な報酬シグナルは、モデルに既存の手法に対する疑問を抱かせ、新たなアプローチを試すことを促します。これは、「正解を教え込む」のではなく、「適切なインセンティブを与えるだけで、モデルが自ら高度な問題解決能力を開発する」 という、強化学習の大きな可能性を示すものです。Deepseek R1における「アハ体験」は、LLMが新たなレベルの知性を獲得しつつあることを示す、象徴的な出来事と言えるでしょう。

 

Deepseek R1の性能検証:OpenAI「o1」との比較

前項までで、Deepseek R1の革新的な学習手法と独自のアーキテクチャについて詳しく解説しました。ここからは、具体的なベンチマーク を用いて、Deepseek R1の性能を検証していきます。

Deepseek R1は、Deepseek AIが開発したMoE(Mixture of Experts)モデルであるDeepseekV3を基盤としています。そのため、モデルのパラメータ数は6710億、コンテキスト長は128,000トークンという、非常に大規模なモデルとなっています。

性能評価の結果、Deepseek R1は、OpenAI「o1」と同等レベルの性能 を示すことが確認されました。特に、コード生成能力においては、Deepseek R1が96.3%、OpenAI「o1」が96.6%と、ほぼ同等の水準を達成。数学的推論能力 においても、Deepseek R1が97.3%、OpenAI「o1」が96.4%と、わずかにDeepseek R1が上回る結果となりました。これらの結果は、Deepseek R1が、単に低コストなだけでなく、高性能なAIモデルであることがわかります。

その他のさまざまなベンチマークにおいても、Deepseek R1はOpenAI「o1」と並ぶ高いパフォーマンス を発揮しており、その総合的な能力の高さが証明されています。

Deepseek R1の活用方法:API、ローカル、Web

Deepseek R1は、様々な環境で利用できるように、APIローカルWeb という3つの利用方法が提供されています。それぞれの特徴と注意点を以下に解説します。

  1. API活用:低コストで高度な推論能力を

APIを利用する場合、Deepseek R1はOpenAI「o1」と同等の性能を維持しながら、その約3%という低価格で利用できるため、非常に高いコストパフォーマンスを発揮します。これにより、企業や開発者は、高性能なAIソリューションをより手軽に、かつ低コストで導入することができます。

  1. ローカル利用:プライバシー保護と柔軟なカスタマイズ

ローカル環境でDeepseek R1を利用する場合、情報の流出リスクを抑制できるという利点があります。しかし、Deepseek R1は6710億パラメータという大規模なモデルであるため、個人や中小企業がローカル環境で運用するのは現実的ではありません。そこで、Deepseek R1を基に、QwenやLlamaといったモデルで蒸留された軽量モデル(15億パラメータから)を活用することをおすすめします。蒸留モデルは軽量で高性能である一方、学習データの一部の知識が欠落している可能性があるため、利用目的に合わせて適切に選択することが重要です。

  1. Web版活用:DeepThinkとWeb検索の統合

Deepseek R1のWeb版では、ファイルアップロードWeb検索、そしてDeepThinkという独自の機能が提供されています。OpenAI「o1」のWeb版と比較すると、以下の点が異なります。

Deepseek R1のWeb版は、DeepThinkという独自の機能を搭載しており、Web検索と高度な分析能力を組み合わせることで、DeepThink(R1) が検索結果を高度に分析し、回答を出力する他のサービスにはない独自の価値を提供しています。

 

注意点とプライバシーポリシー

DeepSeekプライバシーポリシーには、ユーザーの入力データがモデル改善に利用される可能性があること、また、中国の法律が適用されることが明記されています。このため、機密情報や個人情報を入力する際には、特に注意が必要です。Deepseek R1を利用する際は、上記のリスクを理解した上で、リテラシーを持って適切に利用することを心がけましょう。

 

まとめ:Deepseek R1が示すAIの新たな可能性

本記事では、Deepseek AIが開発した革新的なLLM「Deepseek R1」について、その技術的特徴から性能評価、活用方法、そして注意点までを詳しく解説しました。Deepseek R1は、以下の3つの主要な特徴により、従来のLLMモデルとは一線を画しています。

  • オープンソース: モデル、コード、データセットが無料で公開されており、ローカル環境への導入やカスタマイズが可能です。
  • 低コストAPI: OpenAI「o1」と同等の性能を維持しながら、その約3%という破格の価格で利用できるため、コストパフォーマンスに優れています。
  • Web版DeepThink: Web検索と高度な分析能力を組み合わせた独自の機能を提供し、他のサービスにはない利便性を実現しています。

Deepseek R1は、GPUなどの計算資源が限られた環境でも、強化学習とルールベースの報酬モデルを組み合わせることで、OpenAI「o1」に匹敵する高性能なモデルを実現できることを示しました。この成果は、AI開発の可能性を大きく広げるものであり、AIの民主化を促進する上で重要な一歩となるでしょう。

ただし、Deepseek R1がデータやGPUを必要としないわけではありません。より高性能なモデルを開発するためには、引き続きデータと計算資源は重要な要素であり続けるでしょう。また、ルールベースの報酬モデルは、計算コストを抑える一方、複雑な報酬計算には不向きであるという課題も残されています。

Deepseek AIは、Deepseek R1以外にも、DALLE-3を超える画像生成モデルを発表するなど、AI分野で急速な成長を遂げています。今後も、Deepseek AIの動向を含め、AI関連の最新情報を皆様にお届けしていきますので、ご期待ください。

 

参考文献